forget forgot forgotten

ゆく川の水は何とやら。 思い出はあるけれど、忘却の彼方に置き忘れた物たちは、どんな色や形をしていたのだろう。 その断片だけでもつなぎとめるために、訥々と、時に意味もなくただ書き連ねよう。

turning point

10月22日

様々なターニングポイントに触れる。

 

結婚式を迎えた親類。

チャンピオンになったボクサー。

選挙で人生が変わる人たち。

映画「ムーンライト」の登場人物。

 

最後のはフィクションだが、表題上では他の事とシンクロニシティを感じる。

あ、あと季節外れの台風も。

 

特別な事柄ってのは、割とありふれた普遍的な事象である事に変わりはない。

だけど、それらが重なると何らかの符丁にも思える。

 

時が経てばそれは一過性の感傷にすぎないのかもしれない。

偶然に何らかの意味を無理に見い出そうとしているだけなのかもしれない。

 

けど、それぞれの事象が行動を起こした結果であり、それが転換期と言えるなら、この感傷も自分の行動を左右する何らかの力を持つのかもしれない。

行動原理というか。

 

僕はどちらかと言えば動かない。

多分、産まれた時のパラメータ設定で「行動力」にそんなに振り分けず「楽しい」とか「マイペース」とかに全振りしたのかもしれない。

 

行動が伴わなければ結果も産まれない。

これが僕の、偉そうに言えば人生哲学であり、サル並みの反省でもある。

 

ただ、人から言わせればそれなりの幸せを得ている訳で、それはお前が行動した結果ちゃうんかい。となるかもしれない。

 

確かに少なからずはそうなのだけれど、僕としては自然に身を任せた結果だ。ほんのささやかな意思決定や行動が、後はライク ア ローリングストーンで結果になっているのだと思う。

それが幸せに繋がっているのならば、僕は行動力よりも、石の転がる道を調整する力に長けているのかもしれない。

 

確かに今、僕は幸せだ。

けど僕は行動しなかった後悔も知っている。そしてそれは取り戻せない事も。

 

昔、「自分に少し負荷をかける事が大事だ」と言われた事がある。

 

詰まる所、やりたいと思った事、やるべきと思う事。それがしんどさを伴っててもやってみる事。

 

最終的に凄く当たり前な着地点だけど、自分なりにやっていこう。

それがターニングポイントを招き、チャンスだとかに繋がるのであれば、たまには流れに逆らって泳いでみよう。カナヅチだけど。

 

季節外れの台風はいつの間にか通り過ぎた。今回はかすっただけで、何にもなかった。けど、直撃する時もあるだろうし、被害を受ける時もあるかもしれない。

それでも生きてりゃ何とかなる。

 

よし、がんばるか。